飯田橋・後楽園の歴史

飯田橋

内堀と外堀に囲まれた東京の真ん中に位置する地域。
JR線、東西線、南北線、有楽町線、大江戸線が乗り入れていて、どこに行くにも便利です。

地名の由来

飯田橋

地名の由来は、現在の飯田橋駅東口に接する、飯田橋交差点の一部を構成する橋、「飯田橋」。
さらに遡れば、人名を起点として、おおむね以下のような経緯を踏んでいる。

飯田町(地名)

1590(天正18)年、開府前の江戸で徳川家康にこの地域を案内したのが、土地の長老であった飯田喜兵衛なる人物であった。家康はその功を称え、一帯を「飯田町」と命名した。

飯田橋(橋名)

1881(明治14)年、交通の便のため、新たに外濠を跨ぐ橋が架けられ、飯田町に接する橋であることから「飯田橋」と命名された。

駅名の由来

1928(昭和3)年、当時の国鉄は飯田町駅の旅客営業および牛込駅を廃止すると同時に両駅の中間地点に新駅を設置したが、その際、至近であったこの橋の名をとって「飯田橋駅」と命名した。

以降、駅周辺の地域名として「飯田橋」の通り名が次第に浸透し、逆に「飯田町」という地名の存在感は少しずつではあるが薄れていくこととなった。

町丁名の由来

1966(昭和41)年の住居表示実施の折には、上記のような変化を反映して「飯田町」の呼称を廃し、駅周辺の通称地名としてすでに定着していた「飯田橋」の名を使った町丁名(一丁目~四丁目)が新たに生まれることとなった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後楽(園)

後楽(園)

東京都文京区にある「後楽」はその町域の大半を東京ドームシティと小石川後楽園が占めている。
外堀通りなどの幹線道路が東西南北に走り、その交通アクセスのよさからトヨタ自動車などの有力企業が本社を置いている。

名前の由来

中国の教えに因んだ名前です。

1629年(寛永6年)、三代将軍徳川家光のすすめで、水戸初代藩主・徳川頼房(よりふさ)がこの地に上屋敷と庭園「後楽園」の建設を始め、二代藩主で「水戸黄門」でおなじみの徳川光圀(みつくに)が完成させた。

「後楽園」の園名は、光圀が信頼を寄せていた明の儒学者・朱舜水(しゅしゅんすい)の助言で、宋の学者・范文正(はんぶんせい)の著書「岳陽楼記」の中の語「士はまさに天下の憂に先んじて憂い、天下の楽に後れて楽しむ」から選んだ。現在、上屋敷は東京ドームシティになり、庭園は小石川後楽園として保存されている。後楽園の流水は神田上水から取り入れ、園内を回遊した後、神田川へ流れる構造となっている。

出典:雑学ネタ帳 https://zatsuneta.com/

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